大判例

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福岡地方裁判所 平成6年(わ)380号 判決

主文

被告人を懲役二年一〇月に処する。

未決勾留日数中四二〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、友人のAから、甲が高利で現金を貸し付けた上、厳しく返済を迫っていると聞いて憤慨し、同人らが現に住居に使用する福岡県糟屋郡志免町〈番地略〉所在の同人方家屋(木造瓦葺平家建、建坪約六八・五六平方メートル)を焼燬する目的で、平成六月四月八日午前二時二五分ころ、同人方家屋北側玄関前のタイル張りたたきの上に灯油を散布した上、予めラッカー薄め液を振り掛けていた新聞紙等の紙類を左手に持ち、右手で点火したライター(平成六年押第九八号の1)をこれに近づけて火を放ったが、その際、左手に着用していたゴム手袋に火が燃え移ったことから、驚愕の余りゴム手袋を外してその場に投げ捨てたところ、たたきの上に散布した灯油の上に落ちて燃え上がったものの、甲に発見されて消し止められたため、その目的を遂げなかったものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定に関する補足説明)

一  本件犯行に関する客観的状況

以下の各事実については、前掲関係各証拠によって明らかである上、特に争いもない。

1  被告人が本件犯行に至った経緯

被告人は、懇意にしていたAから、以前、本件被害家屋の所有者である甲(以下「甲」という。)が、一〇日に一割の利息を取る、いわゆる「トイチ」による高利貸しをしており、Aの妻が甲から金を借りたために利息が増え、その返済を厳しく迫られて困っている旨聞き、甲に対して腹立たしく思っていた。被告人は、平成六年(以下、年を記載しない時は「平成六年」を指す。)四月七日午後八時半ころから一人で焼鳥「味たつ」に行って飲食した後、Aを誘ってスナック「舞」に行き、翌八日午前零時三〇分ころまで一緒に飲食した。その際、Aが、再び、甲から金を借りた件について愚痴をこぼしていたことから、甲に対する憤りを募らせた。被告人は、Aと分れて帰宅した後も、甲に対する憤りが静まらず、同人を懲らしめてやろうと考えるに至り、家にあったゴム手袋を両手に着用し、灯油入りポリ容器、ラッカー薄め液入り瓶、ライター、新聞紙等の紙類を持ち出し、同人方に向かった。なお、被告人は、焼鳥「味たつ」及びスナック「舞」において、ビール中瓶二本及び日本酒約五合程度を飲食していた。

2  本件犯行当時の状況及び被告人が逮捕されるに至った経緯

(一) 四月八日午前二時二〇分ころ、甲方の南側に位置している志免町〈番地略〉所在の B1方(以下「 B1方」という。)玄関前付近において、灯油用ポリ容器の蓋部分に火が付けられて放置されたが、隣家に居住するCが発見し消し止めた(以下、この事件を「 B1方放火」という。)。

(二) 甲は、同日、同人方北側の玄関に隣接する居間で就寝していたが、午前二時二五分ころ、犬の吠える声で目を覚ますと、玄関脇の窓の外が赤くなっており、玄関のドアを開けると、玄関内にゴムとも灯油とも知れない臭いのする煙が入ってきた。そこで、甲は、妻・乙を起こしてから外に出て、玄関前のタイル張りたたき(以下、単に「たたき」という。)の上で燃えていた物を二、三度右足で踏みつけ、踏んだまま右足を右前方に滑らせて火を消した(この事件が本件起訴にかかる事実であり、以下「本件放火」という。)。

(三) 一方、乙は、夫に起こされた後、玄関から外に出て、甲方の東側の壁に沿って南に入る路地(以下「甲方路地」という。)に回ったところ、同所でも炎が上がっていたので、右路地を挟んで甲方の南側に隣接する居宅に住むDに大声で火事を知らせた。他方、右路地の火については、甲の孫がバケツに水を汲んできて、その消火に当たった(以下、この事件を「甲方路地放火」という。)。

(四) Dは、甲方の方向から女性の声で「燃えようよ。」との叫び声がしたことから目を覚まし、玄関のガラス越しに甲方東側壁面付近で炎が上がっているのを認め、縁側から甲方路地に出ようとした時、目の前を男が急ぎ足で通り過ぎるのを見た。そこで、急いでその男の跡を追ったところ、男は、D方居宅と、甲方路地の東側に建っているD方古屋との間の南側路地(以下「D方前路地」という。)を通り抜け、木戸を開けて同人方居宅東側の庭に出た上、金網フェンスを乗り越えてその南側にある空き地に逃げ込んだが、金網フェンスを乗り越える際、跡を追ってきたDに対し灯油用ポリ容器を投げつけた。

(五) 前記 B1は、 B1方放火を発見した後、弟・ B2と共に、犯人が隠れていないか付近を探していたところ、同日午前二時三〇分ころ、D方庭の金網フェンスを乗り越えてその南側にある空き地に逃走しようとしている男を発見し、同所において、男を取り押えた。その男は、かねてから顔見知りの被告人であり、この時、被告人から酒の臭いと微かな灯油の臭いがした。

(六) この騒ぎを聞きつけて空き地に駆けつけて来た B1の父・ B3は、 B1らが取り押えた男が旧知の被告人であったことから、被告人を自宅まで送っていくことにしたが、その途中、 B3が「何しよったとね。」と尋ねると、被告人は、「甲がE(「A」を指すものと考えられる。)をいじめるけん、何とかしてくれと頼みに来た。それで甲の家を燃やして焼き殺そうかと思うて火をつけた。」と答えた。

(七) 被告人は、 B1らから取り押えられた際、左手全面に火傷を負っており、その状況は、手掌側では、その中央部に直径約三ないし四センチメートルの範囲で[2]度、中指及び薬指の第一関節より先端部にかけて[3]度、手背側では、その中央部に直径四ないし五センチメートルの範囲で[2]度、中指の爪の周辺と第三関節部、小指の第三関節部に[2]度、親指の爪の周辺と第二関節部、人指し指の爪の周辺と第三関節部、中指の第三関節部に[3]度であった。なお、被告人の治療を担当した猪須隆典医師によれば、被告人がこの火傷を負った直後は、かなりの痛みを伴っていたと考えられる。

3  本件犯行直後の現場等の状況

(一) 本件放火の現場である甲方玄関前は、白色タイルが敷つめられたコンクリート製の二段たたきになっているが、甲が本件放火を発見した直後、たたきの最上段の東側の約半分には、一面にうっすらと灯油が散布されていただけでなく、玄関の木製扉やその脇の木枠の下付近にも灯油が掛っていた。また、灯油の一部は、玄関からみて右前方に向って階段を流れ落ち、玄関東側横に植えてある植木の土止めコンクリート製杭の北側地面にまで達していた。しかし、本件放火の通報を受けて臨場した中平光男巡査部長が右植木の状態を調べたところ、特に灯油やラッカー薄め液の臭いもせず、植木の葉が濡れている状態にもなかった。

他方、灯油が散布されたたたきの上には、木製扉から約二〇センチメートル離れた地点から北東の方向に向かって、幅約一〇センチメートル、長さ約七〇センチメートルにわたり、数ミリの厚みを伴い、ところどころが黄色く、ところどころが黒く煤けたような状態で、何かが溶解したようなものが帯状に残っていた。また、玄関東側横のコンクリート製杭の北側には指先部分の一部が溶けた黄色の左手用ゴム手袋(平成六年押第九八号の2)が遺留されており、この手袋にはトルエン及び灯油の付着が認められた。さらに、灯油が散布されていたたたきの中央近くにはゴム手袋の指先部分が落ちていたが、これが左手用ゴム手袋から欠落したものかどうかは明らかでない。なお、玄関付近から新聞紙等の紙類の燃えかすは発見されていない。

(二) 甲方路地においては、その入口から南方に約七・四五メートル入ったコンクリート地面上に、長さ約四〇センチメートル、幅約二〇センチメートルにわたり灯油らしき液体が撒かれた痕跡があり、その中央部分に新聞紙の燃えかすが発見された。甲方東側の壁面から右痕跡までの距離は、約三五ないし四〇センチメートルである。また、この痕跡の約六五センチメートル東側で、路地入口から南方に約七・八五メートル入ったD方古屋の壁面脇には、トルエン、酢酸エチル、メタノールを含有するラッカー薄め液約五〇ミリリットルの入ったガラス瓶が放置されていた。さらに、右痕跡から約一・七メートル南方のコンクリート地面上には、長さ約七〇センチメートル、幅約六〇センチメートルにわたり灯油らしき液体が撒かれた痕跡があり、その中央部分からも新聞紙らしき紙の燃えかすが発見された。なお、D方前路地にも新聞紙らしき紙類の燃えかすが残されていた。

(三) B1方放火については、一部燃えたポリ容器が放置されていた B1方玄関前のコンクリート床付近一面が灯油で濡れていたほか、右ポリ容器の内容物、同人方南側のアルミサッシ引戸の溝部分及びその壁面近くに置かれていたポリバケツの蓋の上からそれぞれ灯油が検出された。

(四) 被告人が逃走する際Dに向かって投げつけたポリ容器の中には約二〇ミリリットルの灯油が残されていた。また、被告人がD方庭に遺留した左足サンダルからはトルエン及び灯油が、右庭の南側空き地に遺留した右足サンダルからは灯油がそれぞれ検出された。

二  燃焼実験の結果

1  証人海蔵寺明治の当公判廷における供述(以下「海蔵寺証言」という。)及び同人作成の鑑定書(検甲四八号)によれば、同人は、四月二六日、本件放火が発見、消火された直後に甲方玄関前のたたきの上に認められた灯油の散布状況及び前記帯状の溶解物の状況に合わせて、たたきの上に灯油一リットルを散布した上、木製扉から約二六・五センチメートル離れた場所にゴム手袋を置き、その上に新聞紙見開き半分にラッカー薄め液約八五ミリリットルを振り掛けて点火したものを放置する実験を実施したが、この時は、木製扉に着火することはなかったことが認められる。

2  また、検察官作成の捜査報告書(検甲四九号)によれば、平成七年二月二一日に実施された燃焼実験の結果、〈1〉ゴム手袋自体は燃焼性に乏しく、灯油又はラッカー薄め液が掛かっていない状態では容易に着火せず、独立燃焼もしにくいこと、〈2〉灯油を撒いたコンクリート上にゴム手袋を置いた上、このゴム手袋に灯油を振り掛けて着火しても、わずかに炎を上げて燃焼する程度であり、ゴム手袋のコンクリート面に接着する部分は溶解すらしなかったこと、〈3〉ゴム手袋の外側にラッカー薄め液を振り掛けた上で点火したところ比較的よく燃焼したこと、〈4〉ラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙を、灯油を撒いたコンクリート上で燃焼させたところ、勢いよく燃えたが、火が消えた後、その残留物は、体にわずかに感じる程度の風が吹いただけで、灯油を撒いたコンクリート上を滑るように移動したこと、〈5〉ラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙を、灯油を撒いたコンクリート上で燃焼させ、その上にラッカー薄め液を振り掛けたゴム手袋を落とした場合には、約四〇センチメートルの炎を上げた激しく燃え、これを踏みつけて消火したところ、甲方玄関前のたたきの上に残されていたのと類似する痕跡が残ったことが認められる。

三  被告人の供述内容

被告人は、本件当日である四月八日午前六時三五分に緊急逮捕されたが、その直後から捜査及び公判を通じ、本件放火が被告人によるものであることを一貫して自白している。ところが、本件当時の状況及び本件放火の具体的態様についてはよく覚えていないとも述べており、事実、被告人は飲酒の影響もあって本件当時の行動やその状況等に関する記憶が不鮮明であることが窺われる。この点に関する被告人の供述の変遷は概ね次のとおりである(なお、基本的な用語等はできるだけ統一した。)。

1  平成六年四月八日付け司法警察員に対する供述調書(検乙二号)

Aと別れて自宅に帰った後も、高利貸しの甲に腹が立って仕方がなかったことから、同人の家に灯油を持って行き、家に火をつけて嫌がらせをしてやろうと思った。そこで、灯油入りポリ容器、ラッカー薄め液入り瓶、新聞紙等の紙類、ライターを持って家を出て、同人方の裏通りから細い路地に入り、同人方裏付近に行くと、付近は真っ暗だったので、同人方と見当をつけて、その家の出入口付近に持って来たポリ容器内の灯油を撒き散らした。そして、ポリ容器をその付近に置き、一緒に持ってきた新聞紙にライターで火をつけたが、家に燃え移らないので、一旦裏通りに出てから、甲方玄関のある表通りに回った。付近の家から灯油入りポリ容器を無断で持って来て、甲方路地に入り、灯油を同人方建物の下に撒いて新聞紙等の紙類を置き、ライターで火をつけた。しかし、紙は燃えたが家には燃え移らなかったので、その路地で瓶に入ったラッカー薄め液を新聞紙等に振り掛けてから、同人方玄関まで持って行った。同人方玄関前に灯油を撒いた上、ラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等をたたきの上の木製扉の下付近に置いてライターで火をつけた。その瞬間、左手のゴム手袋も一緒にボーッと燃え上がり、左手に痛みが走ったので、必死に左手のゴム手袋を右手で外し、その場に投げ捨てて逃げ出した。自分は、甲方路地や同人方玄関先で、灯油やラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類に火をつけて同人の家を燃やしてやろうと思った。

2  平成六年四月二四日付け司法警察員に対する供述調書(検乙四号)

B1方に灯油を撒いて火をつけた行為については全く記憶がないが、火が燃え上がらなかったことは頭の隅に残っている。また、 B1方に残された灯油用ポリ容器は、色、型等からして自分が自宅から持って行った物に間違いなく、 B1方を甲方と間違えて灯油を撒いて火をつけ、ポリ容器を燃やしたのも自分に間違いないと思う。その後、付近の家から灯油入りポリ容器を持って来て、甲方路地に入り、同人方の建物脇の路地一、二か所に灯油を撒いてから、新聞紙に火をつけて燃やした。次に、自宅から持って来たラッカー薄め液入りの瓶を右手に持ち、左手に持った新聞紙にラッカー薄め液を振り掛けたように思う。その後すぐに灯油入りポリ容器を持って玄関先に行き、木製扉の前のたたきの上に灯油を撒いた。そして、左手に新聞紙を持ち、ライターを右手に持って火をつけたが、その瞬間左手のゴム手袋にボーッと火がついた。左手の指が熱くてたまらず、右手でゴム手袋を必死で外して逃げた。自分がこのようなことをしたのは、甲方に火をつけて困らせてやろうという気持ちからである。(なお、平成六年四月二一日に実施された実況見分の際の被告人の指示説明の内容も基本的には同趣旨である。検甲三七号参照)

3  平成六年四月二六日付け検察官に対する供述調書(検乙六号)

甲のことを考えていると、弱い者いじめをしている同人に対して腹が立ってきて、懲らしめてやろうと思った。同人の家に火をつけて家屋の一部でも燃やせば、同人が怖がり、人に恨まれていることも分かるだろうと思った。そこで、灯油等を持って家を出て、同人方裏のC方付近に来た。それ以後の記憶はないが、その後暗いところに入って行き、どこか分からないが灯油を撒いた記憶はある。それがどこか思い出せないし、火つけたこともよく思い出せない。それから、甲方路地に入って行き、どこかに灯油を撒き、さらに同人方の植木にラッカーの薄め液を撒いたことと、ライターで火をつけ何かが燃え上がったことは覚えている。その後、同人方の玄関の方に回って、玄関付近で灯油とラッカー薄め液を撒き、ライターを点火した。この時、新聞紙を用いたかどうかについてはよく思い出せない。すると、左手に着用していたゴム手袋が燃え上がり、あわてて脱ぎ捨てようとしたがなかなか脱げず、右手で何回も左手に着用していたゴム手袋を外そうとした。やっと外れてその場に脱ぎ捨てて逃げ出したことを覚えている。右手に着用していたゴム手袋がどうなったかについてはよく覚えていないが、自宅を出る時は両手にゴム手袋をしており、警察で探してもらっても右手に着用していたゴム手袋が発見されず、また、甲方玄関前でゴム手袋らしい物が燃え上がったということなので、そうであれば、自分が右手に着用していたゴム手袋にラッカー薄め液を掛けてこれに火をつけたものと思う。

4  平成六年六月一日付け検察官に対する供述調書(検乙七号)

自分が甲方に放火しようと思ったのは、金貸しをしている同人が、自分と仲のよいA達を困らせていることに腹が立ったからで、家の一部でも焼くことで、同人が怖がると思ったからである。灯油等を持って家を出て、同人方裏に行こうと考えC方横の路地を入ったが、 B1方を甲方裏と誤解し、その場所に放火しようと考えた。辺りを見ると、持ってきたのと同じ様な灯油入りポリ容器が置いてあった。そこで、 B1方前で持って入った新聞紙を半分に破り、その片方を両手で捻るようにして長細い状態にし、その先にライターで火をつけ、火の方を下にして持って来たポリ容器の口に突っ込んだ。その付近に灯油を撒いた記憶はない。その後、甲方玄関前に行った。甲方路地において灯油を撒いて火をつけた記憶はないが、右路地から同人方玄関前まで行く途中、木も燃やしてやれと思い、植木に灯油を撒きながら玄関前まで行き、玄関前で灯油を撒いたところ、灯油を入れたポリ容器が空になった。それで、ラッカー薄め液を植木付近に振り掛け、見開き半分の新聞紙を取り出し、軽く両手で握るようにして棒のようにした新聞紙を下に向けて左手に持った。自分としては、ライターで火をつけた新聞紙を植木に投げ込めば、その木は灯油やラッカー薄め液も掛かっているし、玄関付近にも灯油等を撒いているので、植木や同人方玄関付近が燃え上がるだろうと思っていた。そして、右手に持ったライターを点火し、新聞紙の下の方にその火を近づけたところ、新聞紙がボッという感じで一気に燃え上がり、その火が左手に着用していたゴム手袋に燃え移った。慌ててゴム手袋を外そうとしたが、なかなか外れず、何とか外した時もまだ左手に着用していたゴム手袋は炎を出していた。このゴム手袋をその場に投げ捨て、右手に着用していたゴム手袋も外して捨てたと記憶している。左手に着用していたゴム手袋に火が燃え移ったことから、新聞紙のことを考える余裕などなく、最初に火をつけた新聞紙は、その場に適当に投げ捨てたのではないかと思う。現場に残っていたのが右手用ではなく左手用のゴム手袋ということだが、左手に着用していたゴム手袋は手の甲付近から全体が燃えていた感じだったので、おそらくゴム手袋全体が燃えてしまい、現場に残っていたのは、右手に着用していたゴム手袋ではないかと思う。

5  公判廷における供述

被告人は、平成六年一〇月五日の第四回公判において、Aとスナック「舞」で飲んで家に帰った後の出来事については、酔いが回っていたためよく分からない旨供述しているように、被告人の公判廷での供述内容は曖昧である上、第四回公判、同年一一月三〇日の第五回公判、平成七年三月九日の第九回公判、同年五月一一日の第一〇回公判での各供述には食い違いも多い。その中で、ほぼ同趣旨の内容を供述していると考えられるのは、〈1〉ゴム手袋を両手にはめ、灯油入りポリ容器及びライターを持って甲方に向かったこと、〈2〉 B1方放火については記憶がないこと、〈3〉甲方玄関横の植木に灯油をかけたこと(なお、第四回公判及び第五回公判では、灯油のほか、ラッカー薄め液も少し掛けた旨供述していたが、第一〇回公判では、ラッカー薄め液を掛けたかどうか記憶にない旨供述している。)、〈4〉火をつけようとした時、左手に火が燃え移り、慌てて左手に着用していたゴム手袋を外し、その場に投げ捨てて逃げ出したこと、〈5〉自分では、甲方の植木の一部でも焼ければ甲が分かってくれるだろうと考えていただけで、建物の一部を燃やすことまでは思っていなかったことなどである。

なお、被告人の供述の食い違いに関するものとしては、〈1〉甲方路地放火について、第四回公判では、灯油を撒いたり、火をつけたりした記憶はない旨供述していたのに、第一〇回公判では、路地に灯油を撒いてライターで火をつけたと思うが、ちょっと燃えてすぐに消えた旨供述し、〈2〉甲方玄関のたたきに灯油を撒いたかどうかについて、第四回公判では、灯油を撒いたことはなく、ポリ容器の中身がこぼれたとしか考えられない旨供述していたのに、第九回公判及び第一〇回公判では、玄関先を燃やそうと思ってたたきに灯油を掛けたら流れてしまった旨供述し、〈3〉植木に灯油を掛けた経緯について、第四回公判では、甲方玄関前に入ってすぐ植木に灯油を掛けた旨供述していたのに、第一〇回公判では、同人方玄関前のたたきの上に灯油を撒いたが流れてしまったので、植木に灯油を掛けた旨供述し、さらに、〈4〉左手に火が燃え移った時の状況について、第四回公判では、ライターを点火して植木に近づけたが火がつかなかったので、左手を添えて火をつけようとしたところ、ボッと大きな音がして左手に火がつき、痛かったので、すぐにゴム手袋を外そうとしたが、なかなか外れなかったため、多分、右手のゴム手袋を外し、それから左手のゴム手袋を外した旨供述していたが、第一〇回公判では、左手に火が燃え移った後、ゴム手袋をどのような順序で脱いだか覚えていない旨供述している。

四  当裁判所の認定

1  以上の証拠関係を前提に検討すると、前記一で認定した各事実並びに被告人の捜査段階及び公判廷における供述内容、とりわけ、〈1〉 B1方放火、甲方路地放火、本件放火が、極めて近接した地域内において、数分内に発生していること、〈2〉甲方路地放火及び本件放火があった直後、灯油用ポリ容器を持ったまま逃走しようとした被告人がD方庭の南側にある空き地で取り押えられたこと、〈3〉被告人が自宅から持ち出した物と同種の灯油用ポリ容器が B1方放火で用いられ、さらに、被告人が自宅から持ち出した物と同種のラッカー薄め液入り瓶が甲方路地で発見されたこと、その上、〈4〉被告人自身、本件当時の行動の一部について明確な記憶がなく、その供述も変遷しているが、捜査及び公判を通じ、基本的には、右三件の放火事件に対する関与を否定していないことからすれば、被告人が右三件の放火事件を実行したことに疑問の余地はない。そして、前に認定した、被告人が本件犯行に至った経緯や、被告人の前記供述内容からすると、被告人が B1方放火に及んだのは、 B1方を甲方と誤認したためであることも明らかである。

2  次に、本件放火の態様を検討するに当たっては、次の諸点を考慮する必要があると考えられる。

(一) 本件放火に至る経緯や本件放火の態様に関する被告人の供述は、既に述べたとおり明確に記憶していない部分が多く、また、変遷も認められるが、その中で、被告人は、捜査及び公判を通じ、ライターで新聞紙、ゴム手袋又は植木に着火しようとしたところ、突然左手に火が燃え移り、あわてて左手に着用していたゴム手袋を外そうとしたがなかなか外れず、やっと外れたゴム手袋をその場に放置して逃走した旨一貫して供述している。この、突然左手に火が燃え移り、左手に着用していたゴム手袋を外そうとしたという部分は、最も印象的であったと思われる出来事を具体的に述べたものと評価できる上、 B1らが被告人を取り押えた際、被告人が左手全面に火傷を負っていたという客観的事実とも符合しており、本件放火の態様は、大筋において右供述のとおりであったと認められる。

(二) 前記二の2で述べた燃焼実験の結果によると、ゴム手袋自体の燃焼性は低く容易に着火しないこと、また、ゴム手袋に灯油が掛かっているだけでは、わずかに炎を上げて燃焼するにすぎないことからすれば、被告人が左手に着用していたゴム手袋が、被告人の供述するような経緯で容易に燃え上がったのは、このゴム手袋に相当量のラッカー薄め液が掛かっていたためと考えられる。ところが、前記一の2及び3で認定したとおり、ラッカー薄め液の瓶は甲方路地で発見されていること、甲方玄関前には相当量の灯油が散布されていたこと、被告人は、本件放火の後左手全面に火傷を負っており、この火傷を負った直後はかなりの痛みを伴っていたこと、被告人は B1らに取り押えられる直前ほとんど空の状態の灯油ポリ容器を持って逃走しようとしていたことが認められ、これらの各事実からすれば、被告人は、甲方玄関前のたたきの上に灯油を散布するなどして本件放火に及ぶ前に、甲方路地においてラッカー薄め液を使用し、その瓶を同所に投棄したと考えるのが自然である。

(三) ところで、甲が本件放火を発見して消火した経緯及び同人方玄関前の状況からすると、甲が玄関前のたたきの上で燃えている物を踏み消した痕跡が、たたきの上に残っていた前記帯状の溶解物であると考えられるが、この溶解物からは、左手用ゴム手袋と同質のゴム片が検出されている。しかも、左手用ゴム手袋が発見されたのに対し、右手用ゴム手袋については、現在に至るまで発見されておらず、また、右溶解物の量も決して少ないものではなかったことからすれば、右溶解物は、発見された左手用ゴム手袋から欠損している指先部分が溶けたにとどまるものではないと考えられ、甲の踏み消した燃焼物の中には右手用ゴム手袋が含まれており、そのほとんど全てが燃焼ないし溶解してしまったとみるのが自然である。そして、〈1〉発見された左手用ゴム手袋は、指先が一部溶解しているものの、手袋全体が燃え上がったことを窺わせる状態ではないこと、他方、〈2〉被告人は左手全面に火傷を負っていたこと、また、〈3〉前記二の2の燃焼実験によればラッカー薄め液を振り掛けたゴム手袋は比較的よく燃えるという結果が得られていることからすれば、甲方玄関付近で発見されたゴム手袋は、被告人が、左手ではなく、右手に着用していたものであって、被告人が左手に着用していたゴム手袋は甲方玄関前のたたきの上に落ちて燃焼し、溶解したと考えるのが合理的である。しかも、既に述べたとおり、被告人は、本件当時、相当飲酒しており、自らの行動やその状況等について明確な記憶を残していないこと、さらに、甲方玄関横で発見された左手用ゴム手袋の親指の形状をも考え併せると、被告人がゴム手袋の左右を取り違えて着用し、これに気付かないまま行動していたとしても、特に不自然とはいえない。

(四) 証人甲は、玄関前で燃え上がっていた炎の高さが、消す直前には四二、三センチメートルに達していた旨証言しているところ、前記二の2で述べた燃焼実験の結果からすると、ラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙を、灯油を撒いたコンクリート上で燃焼させ、その上にラッカー薄め液を散布したゴム手袋を落とした場合には、甲の右証言に近い炎の状態となっただけでなく、炎を踏みつけて消した後の痕跡も、甲方玄関前の叩きの上に残されていた痕跡と類似していた。

(五) 甲方玄関前及びその付近からは、紙類やその燃えかすが発見されていない。しかし、D方前路地に残されていた新聞紙らしき紙類の燃えかすは、その発見地点付近に燃えた痕跡がないことからして、どこかで燃えた後風で移動したものと考えられる。しかも、証人Dは、犯人を追って戻ってきた際、新聞紙の燃えかすが三つ四つあった旨証言しており、また、証人Fも、燃えかすが木戸方向にずっと散らばっていた旨証言しているところ、その全てが本件当日である四月八日午前九時二〇分から行われた実況見分時に確認されているわけではないことからしても、紙類の燃えかすの一部は風等により散逸した可能性が大きい。また、前記二の2で述べた燃焼実験においても、新聞紙の燃えかすは、体にわずかに感じる程度の風により移動したことが認められる。これらのことからすると、 B1方放火の通報を受けて警察官らが臨場した際、甲方玄関前及びその付近で紙類やその燃えかすが発見されなていないからといって、そのことと、同所において新聞紙等の紙類が燃えたこととは必ずしも矛盾するものではない。

(六) 前記一の3の(一)で述べたとおり、本件放火の直後、甲方玄関横の植木から灯油やラッカー薄め液の臭いはしておらず、本件当時、灯油やラッカー薄め液が植木に掛けられていた形跡はない。

3  以上の諸点を考慮して、本件放火の態様に関する被告人の供述内容を検討すると、甲方玄関横の植木に灯油を掛けてこれに点火しようとした旨述べる被告人の公判廷における供述は、前記2の(六)に矛盾するだけでなく、事件から約二か月も経った六月一日の検察官の取調べにおいて初めて主張されたものであり、しかも、公判廷での供述においても、灯油を植木に掛けるに至った経緯等について供述が変遷していて、信用しがたい。また、被告人の検察官に対する平成六年四月二六日付け供述調書(検乙六号)のうち、被告人が、右手に着用していたゴム手袋に着火した可能性を指摘する部分も、前記2の(三)に照らして信用しがたい。

これに対し、被告人は、司法警察員に対する平成六年四月八日付け(検乙二号)及び同月二四日付け(検乙四号)各供述調書において、本件放火の態様及び経緯について、甲方路地で左手に持った新聞紙にラッカー薄め液をかけ、これを持って甲方玄関前に行き、玄関前のたたきの上に灯油を撒いた上、左手に持った又は同人方玄関前のたたきの上に置いた新聞紙等の紙類に、右手に持ったライターで着火しようとしたが、その瞬間に左手に着用していたゴム手袋が燃え上がり、痛みが走ったので、慌てて左手に着用していたゴム手袋を必死で外してその場に投げ捨てて、逃げ出した旨供述しているところ、この供述内容は、その態様において自然である上、前記2の(一)ないし(六)の諸点はもとより、前記一及び二で認定した諸事実とも整合しており、十分信用できるものと考えられる。なお、被告人は、司法警察員に対する平成六年四月八日付け供述調書(検乙二号)では、ラッカー薄め液を掛けた新聞紙を玄関前のたたきの上に置いた上で、この紙に火をつけようとした旨供述しているが、そのような事実を窺わせる客観的な証拠は存在しない。その上、被告人は、これまで草や粗大ゴミを自宅で燃やす時に灯油を振り掛ければ非常によく燃えるとの経験を有していたこと、また、第四回公判でも、 B1方放火について、「火をつけた新聞紙を灯油入りのポリ容器の口付近に指し込んでおけば、その燃えかすが灯油の中に落ちて、灯油が燃え上がるだろうと思っていた。」旨供述していることからすると、本件当時、被告人は、灯油は容易に引火して燃え上がると考えていたことが窺えるのであって、そのような認識に立った場合、灯油を散布したたたきの上に新聞紙等の紙類を置き、その上に屈み込んでライターで火をつける行為は、自らも火傷を負う可能性の高い危険な行為というほかなく、被告人がそのような行動に出たとは考えがたい。このような点を考慮すれば、被告人は、司法警察員に対する平成六年四月二四日付け供述調書(検乙四号)にあるように、ラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類を左手に持ち、右手で点火したライターをこれに近づけて着火したところ、この紙類のみならず、被告人が左手に着用していたゴム手袋も同時に燃え上がったと認定するのが相当である。

4  以上検討した結果を総合すると、本件放火の態様は、ほぼ次のとおりであったと認定できる。すなわち、〈1〉被告人は、本件当時、酒に酔っていたため、黄色のゴム手袋の左右を取り違えて着用した、〈2〉甲方路地放火後、被告人は、同所で所携の新聞紙等の紙類にラッカー薄め液を振り掛けたが、その際左手に着用していたゴム手袋にも相当量のラッカー薄め液が掛かった、〈3〉被告人は、そのすぐ後甲方玄関前に至り、まず玄関前のたたきの上に灯油を撒いた、〈4〉その上で、被告人は、ラッカー薄め液を振り掛けていた新聞紙等の紙類を左手に持ち、右手で点火したライターをこれに近づけて着火したところ、その瞬間左手に着用していたゴム手袋に掛かっていたラッカー薄め液に火が燃え移り、手に持っていた紙類を火のついたままその場に落とした、そこで、〈5〉被告人は、慌てて左手に着用していた右手用ゴム手袋を外そうとしたがなかなか外れず、やっと外れたゴム手袋をその場に捨てたところ、これが先に灯油を散布していた玄関前のたたきの上に落ち、そのまま燃え上がり、溶解した。また、〈6〉被告人が右手に着用していた左手用ゴム手袋については、これと相前後して外し、その場に捨てたところ、これが甲方玄関横の植木の前に落ちた、というものである。

五  被告人の犯意

ところで、弁護人は、被告人の現住建造物等放火の故意を争い、被告人も、当公判廷において、建物の一部を焼くことまでは考えておらず、植木の一部でも焼ければ甲も分かってくれるだろうと思っていた旨供述している。

しかし、既に認定したとおり、〈1〉被告人は、本件当夜、 B1方放火、甲方路地放火、本件放火を相次いで敢行しているところ、 B1方放火も B1方を甲方と誤認しての犯行であって、被告人は執拗に甲方を狙って右三件の放火事件に及んでいること、〈2〉 B1方放火に際しては、 B1方玄関前のコンクリート床付近一面に灯油を撒き散らし、その上で灯油入りポリ容器に着火しているばかりでなく、同人方南側のアルミサッシ引戸の溝部分等建物そのものにも灯油を掛けていること、〈3〉被告人は、本件放火において、甲方玄関前のたたきの東側半分に灯油を撒いているだけでなく、甲方路地放火においても、建物からわずか約三五ないし四〇センチメートルしか離れていない地点に相当量の灯油を撒いていること、さらに、〈4〉被告人は、火勢を強くするためにラッカー薄め液まで持参した上使用していることが認められるのであって、このような被告人の放火行為の執拗性及び放火の態様は、被告人が、単に甲方付近で火を放つというだけではなく、甲方の建物そのものに放火する意図で、右三件の放火事件に及んだことを強く推認させる。また、被告人は、本件放火後、 B1らに取り押えられた後、 B3とともに自宅に向かう途中、同人に対し、「甲の家を燃やして焼き殺そうかと思うて火をつけた。」旨発言していたことが認められるところ、この発言は、本件放火直後の興奮の醒めやらぬ中でのものであり、若干誇張が含まれている可能性もあるとはいえ、当時の被告人が、少なくとも甲方家屋の焼燬を強く意識して本件放火に及んだことを推認させるものでもある。さらに、被告人は、捜査段階においては、一貫して甲方の建物ないしその一部を燃やそうと考えて本件放火に及んだ旨供述し、第一回公判における罪状認否でも、現住建造物等放火の故意の点を特に留保することなく、公訴事実全体を認めているのであって、これらの事情を総合すれば、被告人が、現住建造物等放火の故意をもって、前記四で認定した行為に及んだことを十分に認めることができる。したがって、本件放火の故意を否認する被告人の当公判廷における前記供述は信用できず、弁護人の主張も採用できない。

六  実行の着手の有無

1  以上認定した事実を前提として、被告人に現住建造物等放火の実行の着手を認めることができるかどうかについて判断する。

まず、本件においては、既に述べたように、被告人が、左手に持っていた、予めラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類に着火すると同時に、左手に着用していたゴム手袋が燃え上がり、これが灯油を散布した甲方玄関前のたたきの上で燃焼ないし溶解しているが、この燃えているゴム手袋がたたきの上に放置されたのは、左手に着用したゴム手袋が燃え上がったことに驚愕した被告人が、慌ててゴム手袋を外し、その場に投げ捨てた際、たまたま燃えているゴム手袋が灯油が散布されているたたきの上に落ちたに過ぎないものであって、このような被告人の行動は、いわば不測の事態に対する反射的な身体の動作にすぎず、これをもって被告人の意思に基づく行為ということはできない。したがって、この点をとらえて、現住建造物等放火の実行の着手の有無を判断することはできず、本件においては、被告人が、甲方玄関前のたたきの上に灯油を散布した上、予めラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類に所携のライターで着火した行為をもって、現住建造物等放火の実行の着手と認めることができるかどうかを判断すべきことになる。

2  ところで、海蔵寺証言及び同人作成の鑑定書(検甲四八号)等の関係各証拠によれば、灯油の発火温度は摂氏三〇〇度前後であり、甲方玄関前のたたきの上に散布された灯油は、芯になるべき者がない場合には、かなり大きな加熱物体が近づかない限り、散布されて広がった灯油全体が熱を吸収するため、その温度が発火するに至るまで上昇して燃焼を開始する可能性は低いことが認められる。したがって、被告人が灯油を甲方玄関前のたたきの上に散布した行為だけでは、いまだ同人方家屋を焼燬する具体的危険が発生したとは認められない。

しかしながら、他方、〈1〉甲方玄関前のたたきの上に散布された灯油も、芯になるべき布等に吸収された時には、近くに種火があれば、加熱される灯油の量が少ないため、容易に温度が上昇して着火し、布等に吸収された灯油自体が燃焼を開始すること、また、〈2〉燃えている新聞紙等の紙類を、灯油を散布した甲方玄関前のたたきの上においた場合にも、右紙類が灯油を吸収して芯となり、これに吸収された灯油が燃焼を開始するが、その際、たたきの上に散布された灯油が独立燃焼を開始するかどうかは、右紙類が燃え尽きるまでの間に生じる総熱量との関係で決定され、たたきの上に散布された灯油が独立燃焼を開始する可能性も否定できないこと、その上、〈3〉甲方玄関の木製扉あるいはその横にあるモルタル壁の木枠はかなり古く、表面が粗くなっており、加えて木製扉及び木枠の下付近にも灯油が付着していたことからすると、木製扉や木枠の真近で物が燃え上がったり、あるいは、木製扉が開いて燃焼している物の上に来たりした時には、木製扉や木枠に延焼する危険性が高まること、さらに、〈4〉被告人は、本件放火の際、媒介物として用いた新聞紙等の紙類に予め引火しやすいラッカー薄め液を振り掛けており、このような紙類に火をつければ、勢いよく燃え上がると予想されることが認められるのであって、これらの事実を総合すれば、予めラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類に着火した上、これを甲方玄関前のたたきの上に散布された灯油の上に置く行為は、甲方家屋を焼燬する具体的危険を発生させるものであって、現住建造物等放火の実行行為と評価することができる。

3  そして、本件放火において、被告人は、甲方玄関前のたたきの上に灯油を散布した上、予めラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類を左手に持ち、右手で点火したライターをこれに近づけて着火したものの、その際、その火が左手に着用していたゴム手袋に掛かっていたラッカー薄め液に燃え移ったことから、それ以後の行為を中断しているが、このような不測の事態の発生により行為が中断されなければ、被告人が着火した右紙類をそのまま灯油の上に置いたであろうことは十分予測できる上、被告人自身もそのような意図に基づいて右行為に及んだと認められることからすると、被告人が予めラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類に着火した行為をもって、甲方家屋を焼燬する具体的危険を発生させる行為を開始したものと評価することができる。したがって、被告人は、右行為によって、現住建造物等放火の実行に着手したものと認めることができる。

4  ところで、弁護人は、前記二の1の海蔵寺による燃焼実験を援用して、灯油が散布された甲方玄関のたたきの上に燃えているゴム手袋を放置しても、他の可燃物に燃え移る具体的な危険性はなかった旨主張する。しかし、所論指摘の燃焼実験は、ゴム手袋等が甲方玄関前のたたきの上に散布された灯油の上で燃えていた時の状況をできるだけ再現した上で実施されたものであるところ、前記1で述べたように、燃えているゴム手袋が灯油が散布されたたたきの上に落ちたのは、被告人の意思に基づかない反射的な身体の動作による偶然の結果にすぎないから、所論指摘の燃焼実験を基に甲方家屋を焼燬する具体的危険性があったかどうかを判断するのは相当でない。この点に関しては、むしろ前記2で述べたように、甲方玄関前のたたきの上に散布された灯油の上に燃えている物を置く行為が、甲方家屋を焼燬する具体的危険を発生させる行為かどうかという観点から論ずべき事柄であって、所論は採用できない。

七  結論

以上のとおり、本件において取り調べた関係各証拠によれば、被告人は、判示のとおり、甲方玄関前のたたきの上に灯油を散布した上、左手に持った、予めラッカー薄め液を振り掛けた新聞紙等の紙類にライターで着火したと認められ、このような被告人の行為は、現住建造物等放火の実行に着手したものと認めることができるから、被告人の判示行為は、現住建造物等放火の未遂罪に該当する。

(法令の適用)〈省略〉

(被告人の責任能力について)

弁護人は、被告人が本件当時心神耗弱の状態にあった旨主張する。なるほど、関係各証拠によれば、被告人は、本件放火の前日である四月七日の午後八時半ころから翌八日の午前零時三〇分ころまでの間に、二軒の飲食店において、ビール中瓶二本及び日本酒約五合を飲んでいる上、当時肝臓を患っていたこと、また、既に述べたように、被告人は本件当時の行動等について明確な記憶を失っていることが認められるものの、他方、〈1〉被告人は、右各飲食店においては普通に振る舞っており、特に酩酊していたことを窺わせるような状況はなかったこと、〈2〉本件放火直後被告人を自宅まで送って行った B3に対する応答にも、特に異常な点は窺われないこと、〈3〉司法巡査作成の酒酔い・酒気帯び鑑識カード(検甲三六号)によれば、犯行直後である四月八日午前三時五分ころの被告人の状態は、酒臭が強く、目が充血していたものの、司法巡査の問いに対して正確に応答している上、その時点の被告人の呼気一リットル中のアルコール濃度は〇・四ミリグラムに過ぎなかったことが認められる。また、〈4〉被告人は、犯行当日である四月八日の司法警察員による取調べに際しては、本件当時の行動等についてもある程度記憶を保持していたことが窺われるのであって、その後の記憶の喪失は、飲酒による通常の範囲内のものとして十分説明が可能であると考えられる。さらに、〈5〉被告人は、本件当夜、前記「事実認定に関する補足説明」の一の1で認定したような経緯から甲に対して強い憤りを覚え、同人方に放火することを決意した上、自宅から灯油入りポリ容器、ラッカー薄め液入り瓶、新聞紙等の紙類及びライターを持ち出し、徒歩で約五、六分の距離にある犯行現場に至り、 B1方放火、甲方路地放火を敢行した上で本件放火に及んでいるのであって、その動機は十分に了解可能であり、また、その一連の行動をみても、酒に酔っていたことや周囲が暗闇であったことなどの影響で B1方を甲方と誤認するなどした点はあるものの、基本的には甲方を焼燬するという明確な目的意識に裏付けられた合理性のあるものということができる。その上、〈6〉左手全面に火傷を負った後の被告人の行動をみても、格別異常な状況を窺わせる点はない。これらの諸事実によれば、被告人が、犯行当時、責任能力を著しく減退するほどの飲酒酩酊の状況にあったとは考えられない上、他に被告人の責任能力に疑問を差し挟むべき事情も窺われないから、被告人は、本件当時、完全な責任能力を有していたものと認めることができる。弁護人の主張は採用できない。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおりの現住建造物等放火未遂の事案であるが、被告人は、甲方を焼燬するという執拗かつ強固な意思に基づき本件犯行に及んだと認められる上、被告人が放火しようとした甲方は、古い木造住宅が密集する地域内にあり、本件は不測の事態の発生により幸いにして未遂にとどまったものの、もし被告人の計画通りに放火が実行されていたならば、重大な結果をもたらした可能性も否定しがたい。また、本件は、被告人の意図したとおりの経過を辿っていないとはいえ、現実には甲方玄関前のたたきに散布された灯油の上でゴム手袋が炎上しているのであって、本件放火が、甲及びその家族はもとより付近の住民に大きな不安を与えたことも容易に推察できる。また、被告人は、本件放火に先立つ飲酒の際、Aから、甲に高利の借金の返済を迫られて苦慮している旨の話を聞き、その事実を確認することもなく、同人を懲らしめるために本件放火に及んだというのであって、その行動は余りにも短絡的で、動機に酌むべき事情も乏しい。加えて、いまだ甲らに対する慰謝の措置は全く講じられていないこと、被告人にはこれまで懲役刑の前科五犯を含め合計一三犯の前科があることなどの事情をも併せ考えると、被告人の刑事責任は重いというべきである。

他方、本件放火は幸いなことに未遂に終わり、甲方家屋が現実に被った損害はさほど大きなものではなかったこと、被告人は、現在では、自らの軽率な行為を反省していること、前記前科のうち最終の懲役刑の執行は昭和三九年三月に終えている上、最終前科となる昭和五八年の罰金刑の執行終了後は、概ね真面目に生活してきたと考えられること、本件による身柄拘束は既に一年六か月以上続いていて、かなり長期化していること、さらには、被告人の年齢や健康状態など被告人のために酌むべき事情も存在する。

これらの事情を総合考慮して、被告人に対しては、法律上の減軽をした上、主文程度の刑を科すのが相当であると判断した。

(検察官富岡淳、弁護人徳永賢一各出席 求刑懲役四年)

(裁判長裁判官 川口宰護 裁判官 稗田雅洋 裁判官 青木孝之)

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